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「つーかさぁ? それってコイなんでないの、南ちゃん」 笑い飛ばせなかった俺は、きっと既に負けを認めていたんだ。 檸檬、苺、葡萄? 膝の上の同居人は、今日も能天気に惰眠を貪っていた。 最近軋みの大きい安物のベッドは俺が小学校に入学してからずっと使っている物で、 そろそろ新しいのが欲しいと去年から母親に陳情していたりする。 俺はそれにいつもの様に腰掛けながら、身動きの取れない状況に 痺れてきた脚を少しずつずらした。 じっと、恨めしげな目で俺を見詰める跡部景吾に、心臓を騒がせながら。 「・・・跡部、これはミー介の意思だ。 そんなに睨まないでくれ」 「誰が睨むか。別に何の不満もねぇよ」 不貞腐れた表情を惜しげもなく晒されて言われても、説得力は無い。 だけど俺はその顔に困っている訳では無く。 「・・・・おい。 そろそろミゼラブルの飯の時間じゃねぇか? 今日のはわざわざ取り寄せた缶詰だぞ」 そう、そわそわしながらミー介を起こそうと躍起になっている跡部が、 可愛いと思っていたりするんだ。ああ、もう駄目だ俺。 「ー跡部、咽喉渇かないか? コーヒー持ってくるからミー介頼む」 「ああ」 明らかに嬉しそうな顔をした跡部に、寝ぼけ眼のミー介を預ける。 もう俺の事なんて一切気にしていない跡部に少し悔しいと思いながら、 俺は台所に向かう為部屋のドアを開いた。 ― つーかさぁ? それってコイなんでないの、南ちゃん 不意に脳裡を過ぎったその言葉は、昨日の昼休みに千石が言ったものだ。 普段女子とばっかり飯を食ってる癖に、次の日跡部と会うとうっかり漏らしてしまった俺に 一日付き纏ってくるものだから。 つい苛々して、邪魔するなと怒鳴ってしまって。 教室で大声を出してクラスメイトの視線を集めてしまって、 まんまと青くなったり赤くなったりする俺を一頻り笑って。 千石は、相変わらず軽い調子でメンゴと謝って、 いつもと違う真面目な顔で、言った。 ― だったらさ、いつまでもこのまんまってのも、しんどいんでない? 「・・・・余計なお世話だ・・・・・・」 がしがしと頭を掻いてカップを二組用意する。 跡部用に母親が揃えた高めのやつ。使う頻度は月日の流れと比例していた。 その間胸に積もっていく感情は、俺には初めてで受け流す事が難しい。 でも、だからって、どうしろって言うんだ。 振り切る様にミルクと砂糖を乱暴に掴んで、階段を駆け上がる。 がちゃがちゃ鳴るカップの音が、俺を笑っている様な気がした。 「跡部・・・・、」 ドアを開けた俺が息を呑んだのは、目の前の光景があまりに衝撃的だったからだ。 視界に広がるのはいつもの地味な部屋。 ぼろくなったベッド。四年前から使ってる勉強机。 一昨年の誕生日に貰ったMDコンポ。 それと。 「・・・・・・・・・」 すやすやと寝息を立てる、同居人と来訪者。 ベッドの上に仰向けになって一人と一匹は眠っていた。 跡部の腹の上で丸くなるミー介は、ぴすぴすと鼻を鳴らしている。 対して酷く静かに胸を上下させている跡部は、 少し首を傾げる様にして安っぽいシーツに埋もれていた。 「・・・・・、」 ・・・び、びっくりした。 どくどくと騒ぐ心臓を抑えながら、音を立てない様にテーブルにお盆を置く。 そして恐る恐る、ベッドに近付いて上から覗き込んだ。 「・・・・・うゎ・・・・」 整った大人っぽい顔が、無防備に緩んで晒されている。 吊り目がちの薄い色の瞳が閉じられているせいか、跡部の寝顔は酷く幼く見えた。 激しい鼓動が鳴り止まない。 跡部の寝顔。 見たって言ったらきっと千石も他の部員も驚くだろう。 実際俺も驚いてる。変な汗まで掻いてきた。 今ここで眠っているのは氷帝の無欠の王。 庶民には及びも付かない、住む所が違う人間。 でも、それだけじゃない。 だってこれは。 ・・・『好きな奴』の、寝顔なんだから。 どくり、と、一瞬。 肩が跳ねるくらいに、心臓が高鳴った。 ゆっくりと、ベッドに膝を乗せる。 二人分の体重に撓んだシーツが波打った。 「・・・・・・・・・」 真下に見える跡部の顔。伏せられた目蓋。 小さな、唇。 俺のものとは全然違う。 妙に艶があって、薄い桜色をしてて、貝殻みたいに弧を描いてる。 ― 触ったら、きっと気持ち良い。 「・・・・っ」 ・・・・おいおい何考えてんだ健太郎。 違うだろ、まずいだろ。 男同士だ。おかしい。いやそれを言うなら、俺がドキドキしてる段階でおかしい。 跡部の事が頭から離れない段階でおかしい。 こいつの無防備な姿を、誰にも見せたくないと思う段階で、おかしい。 「・・・・・・、」 どうせ初めからおかしいんだから、もう少し壊れてしまっても、別にいいんじゃないか? 思考がおかしい方向にばっかり傾く。 頭が働かない。身体が勝手に動いた。 そっと、細い顎に手を伸ばす。 軽く触れて持ち上げても、跡部は目を覚まさない。 滑らかな頬を撫でる。長い睫毛。緩やかな呼吸。 腹の上の猫の鼻が、ぴーぴーと間抜けな音を出している。 きしりと、ベッドが小さく軋んだ。 跡部の白い頬に影が落ちて、心臓がうるさくて、頭がぼうっとして。 あいつの声が、何度も何度も頭の奥で木霊して。 ああそうだ。俺は苦しい。 泣きたくなって痛くなって嬉しくなってまた泣きたくなる。 だから。 「ー・・・・・」 顔を傾ける。 柔らかい吐息が口元に触れた。 繊細に揺れる睫毛がぶれて輪郭が曖昧になる。 全てが、曖昧に、なる。 「・・・・・みなみ・・・?」 何処か惚けた声が、俺の名前を呼んだ。 「おはよ。 良く寝てたから起こさなかった」 「・・・・・ぁあ・・・」 跡部がぼんやりと瞬く。 ベッドから上体を起こすと、いやに子供っぽい仕草で目元を擦った。 何となく見ていられなくて視線を窓に向ける。 外は橙色に染まっていて、ミー介はとっくに部屋を出て行っていた。 俺は冷めてしまったコーヒーに入れた砂糖をぐるぐると掻き回す。 「コーヒー、冷めちゃったけど飲むか? 淹れ直してもいいけど」 「・・・・ぃや・・・・、飲む」 髪をかき上げてベッドから下りる跡部の前にカップを置く。 ミルクも砂糖も入れないでこくりと一口飲んだ跡部が、ふっと息を吐いて俺を見た。 ― 濡れた唇に、目が釘付けになる。 「ーどのくらい寝てた?」 「・・・一時間くらい、かな。 ミー介はさっきどっか行った」 「そうか・・・・」 ことりとカップを置いて、残念そうに頷く跡部。 いつもだったらそれに微笑ましくなる俺だけど、今は妙に気まずかった。 誤魔化す様に一気にコーヒーを呷る。 苦かった。 「・・・・・・・・・・・・・」 結局俺は、跡部にキスしなかった。 出来なかった。 寝てる間にこっそりするなんて卑怯だと思ってるのか、 ただ単に怖気づいてしまったのか、それとも他の理由なのか。 解らないけど、結局、出来なかった。 これで良かった。 そう思う。 何やってんだ。 そうも思う。 それでも変わらないのは、俺が跡部を好きだって事で。 「ー人の家で寝たのは初めてだ」 笑う跡部を見て、俺はやっぱり、キスしたいって思った。 END |